「書くこと」について

「書くこと」について、とある本には次のように記してあります。

自分が知らないこと、あるいは適切には知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか。まさに知らないことにおいてこそ、かならずや言うべきことがあると思える。ひとは、おのれの知の尖端でしか書かない、すなわち、わたしたちの知とわたしたちの無知とを分かちながら、しかもその知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書かないのだ。そのような仕方ではじめて、ひとは決然として書こうとするのである。無知を埋め合わせてしまえば、それは書くこと[エクリチュール]を明日に延ばすことになる。いやむしろ、それは書くことを不可能にすることだ。

差異と反復〈上〉 (河出文庫)

差異と反復〈上〉 (河出文庫)

書くことはいつでもある意味で自らの無知を晒すことであり、また冒険であるとも言えるでしょう。しかし、「おのれの知の尖端」で書くためには、現在おのれが既にどのような「知」と共にあるのかを知ることも大切になってきます。それを経過してこそ、ひとは読み、書き、思考し、行動することを真に欲することになるのかもしれません。
文芸・ジャーナリズム論系が、そのように「おのれの知の尖端」で書こうとする、「書き手」たることを志望する人々の一助となることができれば幸いです。(助手)