植草甚一/マイ・フェイバリット・シングス

植草甚一

世田谷文学館で開催中の「植草甚一/マイ・フェイバリット・シングス」展の最終日が今度の日曜日までに迫っているようです。興味のある人は世田谷までお急ぎを。以下HPより。

会期 ● 2007年9月29日(土)〜11月25日(日)
開館時間:午前10時〜午後6時(入場は午後5時30分まで)毎週月曜休館[ただし、10月8日(月・祝)は開館、翌日休館]
入場料 ● 一般 600円(480円)、大学・高校生 350円(280円)、中・小学生 250円(200円)、65歳以上 300円(240円)
※( )内は団体20名以上の料金

植草甚一(明治41〜昭和54/1908〜1979)は、昭和25年から亡くなる54年まで世田谷(北沢・赤堤・経堂)に居を構えました。早稲田大学で建築を学び、映画館勤務を経て東宝宣伝部に入社しますが、昭和23年、13年間勤務した東宝を砧撮影所の大争議を機に退社、「キネマ旬報」の同人となり、映画評論を書き始めました。以後、ジャズやミステリー、漫画、ファッションなど、同時代カウンター・カルチャーを紹介する記事を雑誌や新聞に盛んに発表し、1960年代後半から70年代にかけて若者文化のシンボル的存在となりました。
それらのエッセイは、『ぼくは散歩と雑学がすき』(昭和45年)、『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(昭和47年)、『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』(昭和49年)などユニークな書名の単行本にまとめられました。なかでも『ワンダー植草・甚一ランド』(昭和46)は、自分の文章やコラージュ作品はもちろんのこと、友人の和田誠・日野皓正・飯島正丸谷才一淀川長治らが植草甚一に寄せた文章も収録し、これまであった単行本のスタイルを一変させました。現在ではこのようなムック(magazineとbookの中間のような出版物)は珍しくはありませんが、そのさきがけとなりました。
本展では、植草甚一がこよなく愛した「映画」「ジャズ」「ミステリー」「雑学(散歩と読書)」を軸に、図書・写真・原稿・コラージュ・書簡・スクラップブックなどで構成し、今再び雑誌で特集され、あらためて20〜30代の若者を中心に注目されている植草甚一の仕事と独特のライフスタイルをご紹介します。

ワンダー植草・甚一ランド

ワンダー植草・甚一ランド